【感想】『やがて君になる』を読んだ(今更)
どうもお久しぶりです。主です。
何を書くか悩んでて、遅くなってしまいました。
でも、下書きはいくつか作ってあるんですよ?
や、嘘じゃないですよ??まじまじ僕嘘つかない。
投稿が遅れてしまった数ある理由のうちの一つは、食わず嫌いなんですよ。
いや〜どんなものにも食わず嫌いって存在しますよね。
食べ物でも、創作物でも、人間関係でも。
実際に体験してみないと、自分が好きかどうかはわからないわけで。
でも、やはり知らないものに対してのファーストステップっていうのは、非常に勇気がいるわけでして。
その一歩を踏み出すために必要な勇気は、人によってまちまちに異なるわけです。
ちなみに、主はかなり食わず嫌いする派です。
それから好みがうるさい。
漫画とかも絵柄が好みっていう理由だけで、友人が全く知らないような作品を買ったりするし、逆に「なんとなく惹かれない」とかいうわけのわからない理由で名作ですら見てないなんていうことも多々あります。
そのせいで友達の話についていけず、友達ができないんですけどね。それは人間性の問題か。ガッハッハ!
さてそんなこんなで、今日書いていくのは、『やがて君になる(以下やが君)』ですね。
なぜ冒頭にクソみたいな自分語りを入れたのかというと、なんとなく趣味に合わなそうで読んでなかったっていうわけです。もう、こんな良作を読んでなかった自分が恥ずかしい。。。
遅すぎぃ!って思ったそこのあなた!ごめんなさい。
シンプルに謝罪。本当に申し訳ございませぇぇん(号泣)
とまぁ、某元議員の真似も済んだことですし、書いていきたいと思います。
まぁ書くと言っても(7,8巻以外)まだ一度しか読んでないんですけどもね。(アニメは英語版が出たら見ようかなと思っています。もしすでにあったら教えてください。)
何度か読んでみてまた補足とか書くかもしれません。
いや〜非常に良かったです。何が良かったって?そんなの書くことが野暮なくらい良かったです(いや、書けよ)
まぁそれくらい良かったのでね、正直内容について触れることってないんですよ。
自分は設定の「穴」みたいなものを見つけたとしても、それを気にするのは、創作物を楽しむ際に野暮な気がしてしまって、、
もちろん、そういう考察は必要ですし、色々な考察などを読んでいるとそういう記事も非常に楽しいです。
あと、自分は正直書けないと思う(目が節穴すぎて気付いてない説濃厚)ので、純粋に『やが君』を読んで思ったことでも書こうかなと思ったわけです。
さて、みなさんどうですか?読みましたか?
もし読んでいなければ、心からお勧めします。
さて内容について。
まぁもちろん恋愛ですよね。
テーマの一つは「好きとは何か」って感じですかね。
本当に様々な形の「好き」が出てきましたね。でも、人の数だけ気持ちの形はあるので、あぁ、人間らしいなぁなんて思ったりしました。
七海の感じた「好きって選ぶことなんだ。こんなに重いなんて知らなかった。」
正直これは全て集約されてる感じがしました。
侑は自分が欲しいものに手を伸ばさなければいけないんだと知った。
沙弥香は現状を維持することを選んだ。
ここで自分語りをさせてもらうと、主もそこそこおっさんになってきてるわけで、人生の中で恋愛をしてきているわけですよ。
でも毎回、うまくいってるのか、それともまずい方向に進んでいるのか、それがわかるのは終わってからです。
もう完全にシュレディンガーの猫。結果が並存してるまである。
恋愛に限った話でもないのかもしれません。
人間関係みたいに、予測がつきにくいもの、それに加えて理論では解決しきれないものというのは、何が正解で何が不正解なのかは、それこそ当事者たちにしかわからないのでしょう。
それにしても、恋愛を含む人間関係、むずすぎる。
自分はアメリカに住んでるので、男性同士が手を繋いで歩いているとか、女性同士が腕を組んで歩いているという光景を割と頻繁に見かけます。
日本でもそういう方達はある程度いるのだと思いますが、日本社会の風潮的にまだオープンにできていないのかもしれません。
作中で、侑が周りの人たちに七海のことを相談することを渋っていた、そして「いつかみんなに言えたりするのかなぁ」ということを話していましたが、それも初めに言った「ファーストステップ」なのだと思います。
それを周りがどう捉えるか。受け入れてもらえるのか、はたまた拒絶されてしまうのか。
それは結果が出るまで、わからないわけですね。
結果の見えてるファーストステップは比較的簡単でしょう。
例えば、自分のことを明らかに好きになっている人に告白するとか?(これで断られたら主が刺されても文句は言えないですが。)
でも、どんなに些細なことでも先が見えない第一歩目には、とても大きな勇気がいるものです。
人に話しかけてみるとか、知らないところに行ってみるとか、そして同じ姓の人を好きになってみるとか。
そして、その「第一歩」を難しくしている最も大きな要因は、「変化」をもたらすからだと思います。
変化には、望ましい変化と望ましくない変化があるわけです。
でも、結果なんていうのは、蓋を開けて見るまで全くわからないんです。
今回の七海にしても、侑にしても、そして沙弥香にしても。
恐れたのは、単に女性同士がまだ一般的ではないと思っていたからだけではないはず。
もっと大きなものは、相手に想いを伝えて、2人の間の関係が変わってしまったら、、その不安が、みんなが第一歩を踏み出すことを妨げる大きな要因であったはずです。
ですが、変化というのは、必ず訪れるものです。
自分が変わってほしいと思うものも、逆に変わらないでいて欲しいと思うものであっても変化してしまいます。
主は一生小学生でいたかったのに、もう大人になってしまったわけですし。うわ、年取りたくない。
変わらないものなんてないんですよね。
だからこそ、大切なものが大きく変わってしまうことは怖い。
小さな変化であればいいのに、取り返しのつかなくなるような変化というのは、耐えられないですよね。もしかしたら、長い間、傷跡として心に残り続けるかもしれない。
でも、勇気を出して一歩を踏み出さない限り、もしかしたら存在する「望んでいる結果」も得られないんですよね。
現状以上を求めまいと、自分の感情を我慢した沙弥香。
現状を変えようと、自分の気持ちを明かした侑。
沙弥香が気持ちを殺していたのは、もちろん七海のためでもあったわけですが、沙弥香自身傷つきたくない、七海を失いたくないっていう自己保身でもあります。
本当に欲しいものを手に入れたいと思うなら、傲慢であってもいいくらいだと思うんですよ。
実際、自分の気持ちを受け入れて、自分に気持ちを向けてほしいなんて、ひどく独善的で傲慢じゃないですか?
でも、そういうものなんですよね。恋愛は。
恋愛も、行動を起こさない限りは何も結果は得られない。
でも状況は時間とともに変化していくわけです。
(口で言うのは簡単、でも行動するのは難しいですけどもね。。)
そして最後の一節。
人生に区切りはない
毎日は途切れることなく続き
特別だったあの日も、あの瞬間も
今はずっと後ろにある
そして
振り向けば、行く舟を導いて輝いてる
灯台や星の光みたいに
人生とは長く、そして先が見えないものです。
では、一体何を目印にして進んでいくのでしょうか?
主はそれこそ、作者が伝えたかったことの一つなのだと思います。
「過去」
それは誰にでも存在し、決して揺らぐことのないもの。
今まで自分が歩いてきた道のりがこれからも自分の道を照らしてくれる。
眩しかった時も、逆に悲しみの底に溺れ、何も見えなかった時だとしても、そういうった瞬間のつなぎ合わせが現在の自分なわけです。
いいことも悪いことも含めて、過去があるから、現在があり、そして現在もやがて過去になり、未来に進んでいくわけです。
ところで、皆さんは、タイムマシンの「親殺しのパラドックス」をご存知でしょうか?
過去に行って祖父を殺したら、父親が生まれてこないので、祖父を殺しに行ったはずの自分は存在しないことになる。では、祖父が死ななければ、父は生まれてきて、今度は自分は存在することになる、と言うものです。
タイムパラドックスに関しては未だに多くの謎を残していますが、要は
「何があっても過去は変わらない」
ということなんですよね。
いや何言ってんだ、と。当たり前すぎますよね。
でも、当たり前だと理解しているのに、意外とそれを受け入れられる人は少ない。
自分の過ちを誰かに押し付けてしまいそうになることも、記憶の中で起こりうるわけです。
でも過去を否定しちゃいけない。それは今の自分たちの一部なんだから。
友人たちにタイムマシンの話をすると、決まって過去に行きたがります。
過去を変えれば今の自分が変わる、と皆口を揃えて言います。
もちろん主も、過去に後悔がないわけではありません。
山のように困難にぶち当たり、挫折と克服を繰り返しながらも今こうしてかろうじて生きているわけです。
でもそういう挫折、苦難が今の自分なんですよね。何度も言うようですが。
それって、過去の自分を褒め称えてあげてもいいことだと思うんですよね。
最後に、もう一度「変化」について少しだけ。
主も、変化は怖いです。
失ってしまうくらいなら持たない方がいいとか真剣に考えるタイプですし、終わってしまうくらいなら、始めない方がいいと思うことは多々あります。
でも、終着点は新たな始発点になりうる。
そこで終わったことをまたやり直すこともできるんです。
道は一つではなくて、自分が目を向けて、手を伸ばしさえすれば、星の数ほどあるのだと思います。
七海は自分が選ぶことによって、閉ざされた一本道に侑と言う新たな道を見つけ、進んでいきました。
そこには、人それぞれの大変な苦悩を伴うものでもあるでしょう。
でも、選択肢は一つじゃない。
自分の外に目を向けて、手を伸ばしてみるだけで、全く考えられなかったような選択肢が存在するはずです。
主も七海を、侑を、そして沙弥香を見習っていきたいと思います。
長くなったのでそろそろ終わろうかな。
今回もこんな駄文を読んでいただきありがとうございました。
正直、内容にはほとんど触れてないので、他の方を考察とかを読んだ方がいいとは思います。(これは考察として書いているわけではにので、、)
ごめんなさい。
全く大したこと書けてないですが、また次も何か書きます(下書き使え)
では、また。
『やがて君になる』サイコーw
【感想】天気の子を見に行ってきた(3回目)
どうも、オタク日報(笑)を管理している主です。
一つ目の記事に何を書くか考えていたんですが、なかなか1本目の記事に適したものっていうのが思いつかなかったので、1本目から、書きたいことを書いていこうと思います。
---------『天気の子』について---------
っていうことで早速、天気の子についてですね。
皆さんはもうご覧になりましたか??
主は、昨年上映されてすぐに兄と二人で見に行って、周りがカップルだらけだったので辛酸を舐めた記憶があります。
『君の名は』の影響もあって、前評判のすごかった本作でしたが、実際人気とはいえ評価は二分していたとかなんとか。
主も見たときに、「映画用として作っているとはいえ前作(君の名は)より「新海誠らしさ」のようなものを感じました。
ちなみに主は現在、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルに在住しているのですが、ついにシアトルの映画館REGALでも、1月15日より天気の子が上映開始となりました。(記事を書いている1月19日現在でもまだやっているはずですが、そんなに長くは上映してないと思います)(ステマじゃないです)
そして、1月15日と18日に見に行ってきました。
正直、自分がこんなに感動しているのが驚くくらいよかったです。(語彙が三歳児)
自分は映画で泣くということを経験したことはなくて、それは今作も同様だったのですが、感動しすぎて15日に見た直後に自然と17日の分のチケットを買ってしまいました。
(ちなみにアニメではよく泣きます。それを話して友達にドン引きされた記憶があります。Angel Beatsで泣かないやつおるんか、、、)
---------『天気の子』の「集大成感」---------
映画を見て感じたのが、新海誠の「集大成感」みたいなものだったんですね。
『君の名は』に続き今作でも、過去作のキャラクターの登場がありました。
今回は君の名はのキャラクターである、立花瀧、宮水三葉、勅使河原克彦、名取早耶香、そして前作未登場の立花冨美の5名が登場しました。
ただ、総集編感を感じたのは、このキャラクターたちの登場によるものではなく、過去台詞の引用のようなものを感じたからです。
まず一つ目です。
高校を卒業し、島を出て上京してきた帆高は、須賀の新しい事務所に向かいました。
そこで、須賀は、帆高が抱く「自分と陽菜が世界の形を変えてしまったんだ」という考え方を「驕り(自惚れ)」であると一蹴しました。
そしてその後、「世界なんて、もともとどっか狂ってんだから」というセリフを吐きました。
このセリフ、『言の葉の庭』で雪野が孝雄に行った台詞に似ていませんか?
二人が出会って間もない頃、孝雄が雪野の振る舞い(平日の午前中から公園で飲酒している姿)を不審に思っていることに気づいた雪野が、孝雄に放った台詞「人間なんてみんなどっかちょっとずつおかしいんだから」というものです。
実際には主語が「世界」なのか「人間」なのかという違いはありますが、どちらも「完璧なものなんてない」というような思いを含んでいる気がして、なんかこう、グッときましたね笑
もう一つは一番最後ですね。
主的に一番心に響いたのが、最後に帆高が陽菜が放った「僕たちは、大丈夫だ!」(確かこんな感じだったと思うんですが、もしかしたら「きっと」が入っていたかもしれません笑)という台詞です。
初めてこの作品を観たときに、この台詞が『秒速5センチメートル(以下秒速)』で明里が貴樹に放った台詞に似ていると思いました。
少し秒速の話になりますが、そのセリフは明里と貴樹が最後に会った翌朝、別れ際に明里が貴樹を勇気付けるために放ったものでした。
そのとき明里は、もうに2度と会うことはできないんじゃないかという思いをなんとなく感じながらも、精一杯の思いを伝えようとしたのだと思います。
ただ、今作と秒速での大きな違いは、秒速では、明里は「貴樹君なら大丈夫」という(一方的に)背中を押すようなセリフだったのに対して、今回は帆高から「僕たち」という主語の違いがありました。
もともと須賀に主体性がないと言われていた帆高が、自分を含めての二人称を使ったという点は、新海誠先生のなんらかの意図があったのではと思いました。
一応全ての新海作品を見てきたつもり(一応小説版も読んでいます)ではあるのですが、ピンときたのはこの二つでした。
---------「天気の子」の総評---------
最後に、総評というか、総合的な感想を書いていきたいと思います。
まぁ率直にいうと主は天気の子が今までで一番好きですね。
もちろん、秒速のようにセンチメンタルなのも非常に好きなんですが、比較的ハッピーエンドだったのがいいと思いました。
ただ、君の名はと天気の子を好きな人は二分しちゃうのは理解できる。
だって君の名はは完全にハッピーエンドだったけど、天気の子だと東京沈んじゃってるもん笑
映画興行収入的に君の名はの方が売れてる理由もわかります。
加えて、天気の子では、実際に帆高の行動に対して、賛否が完全に二分しているんだとか。。。まぁ納得ですよね。(公務執行妨害等、実際にいくつか法を侵していることシーンもありますし。)
ただ、君の名はよりキャラクターの年齢が若かった今作(帆高16歳、陽菜15歳)、「若さ故の無謀」さというものあっていいのかなと思いました。
作中で須賀の放った「人間、大人になると、大事なものの順序を入れ替えられなくなる」というのは、まさに人間の真理であると思います。
実際、主も歳を重ねるごとに、感情に任せて動いてはいけない、というのがどんどん増してる感じがして、なんとなくもの寂しさを感じています。
だからこそ、帆高の危うい無謀さというのは、若さの最大の特権なのかもしれません。
正直、夏美も無謀を侵してましたが、あの人は大人と子供の中間にいたからああいうことをしたんだと思います。
実際に、大人のように振る舞うシーンもありながら、まだ感情で動くことを忘れていない、というのは夏美の特徴だったのかなと思います。
それから、夏美の言っていたように須賀と帆高は似ているというのは、全くもってその通りでしょう。だからこそ、須賀は若い時の自分を見ているようで、帆高に対して辛く当たるシーンがあった。(まぁ結局、帆高の「俺はただ、もう一度あの人に、会いたいんだ!」というセリフでハッとなって加勢してましたが笑)
帆高の陽菜への想いというのは、主も結構グッときましたね。もちろん事情が事情(天気の巫女(陽菜)が人柱だとか)ということもあるのでしょうか、他の全てを投げ打ってでも、法を犯してでも、愛する人に会いたい、というのは、たとえ思ってもなかなか実行できることではありません。(映画だからと言えばそれまでですけどね)
自分も、いつかそういう相手に出会えるのでしょうか?私、気になります!
まぁ、事情知らない人からしたら、帆高って「(こいつ電波か?危ないやつやな、、、)」みたいになるのはわかりますし、高井刑事に警察署に連行される際に、実際にそういう反応されてましたよね。
---------音楽について---------
まぁ何がいいって音楽ですよね。主は今作、もちろんストーリーも好きですが、音楽が前作に比べてはるかに好きなんですよね。一番好きなのは『Grand Escape』。『祝祭』も好きですし、『大丈夫』も好きですね。『愛にできることはまだあるかい』もまぁ別に嫌いではないでですが、他の曲に比べるとそこまでって感じではないです。
高校生の時の好きだった人がRADWIMPSが好きで、わざわざ話し合わせるために聴いてたのを思い出します(ストーカー気質かな?)
前作同様、RADWIMPSは大ハマりですね。
次の映画もまた三年後なのでしょうか。映画の後に次回作予告はなかったので、まだプロットも練ってない感じかな。もしあるのであれば、楽しみですね。
まぁ長くなってしまったんでそろそろ終わりにしないと、ただでさえ駄文なのに、長すぎて読むの苦痛になっちゃいますね。自分でも読み返しててそう思います。(猛省)
もし読んでくれた方がいらっしゃいましたら、長々と駄文にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。マジでお詫び渡したいくらい長いし読みにくい。
まだこれからも色々と書いていきます。多分ジャンルはまちまちなので、興味があれば読んでいただけると幸いです。
では、また。
天気の子、サイコーw
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