【感想】天気の子を見に行ってきた(3回目)
どうも、オタク日報(笑)を管理している主です。
一つ目の記事に何を書くか考えていたんですが、なかなか1本目の記事に適したものっていうのが思いつかなかったので、1本目から、書きたいことを書いていこうと思います。
---------『天気の子』について---------
っていうことで早速、天気の子についてですね。
皆さんはもうご覧になりましたか??
主は、昨年上映されてすぐに兄と二人で見に行って、周りがカップルだらけだったので辛酸を舐めた記憶があります。
『君の名は』の影響もあって、前評判のすごかった本作でしたが、実際人気とはいえ評価は二分していたとかなんとか。
主も見たときに、「映画用として作っているとはいえ前作(君の名は)より「新海誠らしさ」のようなものを感じました。
ちなみに主は現在、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルに在住しているのですが、ついにシアトルの映画館REGALでも、1月15日より天気の子が上映開始となりました。(記事を書いている1月19日現在でもまだやっているはずですが、そんなに長くは上映してないと思います)(ステマじゃないです)
そして、1月15日と18日に見に行ってきました。
正直、自分がこんなに感動しているのが驚くくらいよかったです。(語彙が三歳児)
自分は映画で泣くということを経験したことはなくて、それは今作も同様だったのですが、感動しすぎて15日に見た直後に自然と17日の分のチケットを買ってしまいました。
(ちなみにアニメではよく泣きます。それを話して友達にドン引きされた記憶があります。Angel Beatsで泣かないやつおるんか、、、)
---------『天気の子』の「集大成感」---------
映画を見て感じたのが、新海誠の「集大成感」みたいなものだったんですね。
『君の名は』に続き今作でも、過去作のキャラクターの登場がありました。
今回は君の名はのキャラクターである、立花瀧、宮水三葉、勅使河原克彦、名取早耶香、そして前作未登場の立花冨美の5名が登場しました。
ただ、総集編感を感じたのは、このキャラクターたちの登場によるものではなく、過去台詞の引用のようなものを感じたからです。
まず一つ目です。
高校を卒業し、島を出て上京してきた帆高は、須賀の新しい事務所に向かいました。
そこで、須賀は、帆高が抱く「自分と陽菜が世界の形を変えてしまったんだ」という考え方を「驕り(自惚れ)」であると一蹴しました。
そしてその後、「世界なんて、もともとどっか狂ってんだから」というセリフを吐きました。
このセリフ、『言の葉の庭』で雪野が孝雄に行った台詞に似ていませんか?
二人が出会って間もない頃、孝雄が雪野の振る舞い(平日の午前中から公園で飲酒している姿)を不審に思っていることに気づいた雪野が、孝雄に放った台詞「人間なんてみんなどっかちょっとずつおかしいんだから」というものです。
実際には主語が「世界」なのか「人間」なのかという違いはありますが、どちらも「完璧なものなんてない」というような思いを含んでいる気がして、なんかこう、グッときましたね笑
もう一つは一番最後ですね。
主的に一番心に響いたのが、最後に帆高が陽菜が放った「僕たちは、大丈夫だ!」(確かこんな感じだったと思うんですが、もしかしたら「きっと」が入っていたかもしれません笑)という台詞です。
初めてこの作品を観たときに、この台詞が『秒速5センチメートル(以下秒速)』で明里が貴樹に放った台詞に似ていると思いました。
少し秒速の話になりますが、そのセリフは明里と貴樹が最後に会った翌朝、別れ際に明里が貴樹を勇気付けるために放ったものでした。
そのとき明里は、もうに2度と会うことはできないんじゃないかという思いをなんとなく感じながらも、精一杯の思いを伝えようとしたのだと思います。
ただ、今作と秒速での大きな違いは、秒速では、明里は「貴樹君なら大丈夫」という(一方的に)背中を押すようなセリフだったのに対して、今回は帆高から「僕たち」という主語の違いがありました。
もともと須賀に主体性がないと言われていた帆高が、自分を含めての二人称を使ったという点は、新海誠先生のなんらかの意図があったのではと思いました。
一応全ての新海作品を見てきたつもり(一応小説版も読んでいます)ではあるのですが、ピンときたのはこの二つでした。
---------「天気の子」の総評---------
最後に、総評というか、総合的な感想を書いていきたいと思います。
まぁ率直にいうと主は天気の子が今までで一番好きですね。
もちろん、秒速のようにセンチメンタルなのも非常に好きなんですが、比較的ハッピーエンドだったのがいいと思いました。
ただ、君の名はと天気の子を好きな人は二分しちゃうのは理解できる。
だって君の名はは完全にハッピーエンドだったけど、天気の子だと東京沈んじゃってるもん笑
映画興行収入的に君の名はの方が売れてる理由もわかります。
加えて、天気の子では、実際に帆高の行動に対して、賛否が完全に二分しているんだとか。。。まぁ納得ですよね。(公務執行妨害等、実際にいくつか法を侵していることシーンもありますし。)
ただ、君の名はよりキャラクターの年齢が若かった今作(帆高16歳、陽菜15歳)、「若さ故の無謀」さというものあっていいのかなと思いました。
作中で須賀の放った「人間、大人になると、大事なものの順序を入れ替えられなくなる」というのは、まさに人間の真理であると思います。
実際、主も歳を重ねるごとに、感情に任せて動いてはいけない、というのがどんどん増してる感じがして、なんとなくもの寂しさを感じています。
だからこそ、帆高の危うい無謀さというのは、若さの最大の特権なのかもしれません。
正直、夏美も無謀を侵してましたが、あの人は大人と子供の中間にいたからああいうことをしたんだと思います。
実際に、大人のように振る舞うシーンもありながら、まだ感情で動くことを忘れていない、というのは夏美の特徴だったのかなと思います。
それから、夏美の言っていたように須賀と帆高は似ているというのは、全くもってその通りでしょう。だからこそ、須賀は若い時の自分を見ているようで、帆高に対して辛く当たるシーンがあった。(まぁ結局、帆高の「俺はただ、もう一度あの人に、会いたいんだ!」というセリフでハッとなって加勢してましたが笑)
帆高の陽菜への想いというのは、主も結構グッときましたね。もちろん事情が事情(天気の巫女(陽菜)が人柱だとか)ということもあるのでしょうか、他の全てを投げ打ってでも、法を犯してでも、愛する人に会いたい、というのは、たとえ思ってもなかなか実行できることではありません。(映画だからと言えばそれまでですけどね)
自分も、いつかそういう相手に出会えるのでしょうか?私、気になります!
まぁ、事情知らない人からしたら、帆高って「(こいつ電波か?危ないやつやな、、、)」みたいになるのはわかりますし、高井刑事に警察署に連行される際に、実際にそういう反応されてましたよね。
---------音楽について---------
まぁ何がいいって音楽ですよね。主は今作、もちろんストーリーも好きですが、音楽が前作に比べてはるかに好きなんですよね。一番好きなのは『Grand Escape』。『祝祭』も好きですし、『大丈夫』も好きですね。『愛にできることはまだあるかい』もまぁ別に嫌いではないでですが、他の曲に比べるとそこまでって感じではないです。
高校生の時の好きだった人がRADWIMPSが好きで、わざわざ話し合わせるために聴いてたのを思い出します(ストーカー気質かな?)
前作同様、RADWIMPSは大ハマりですね。
次の映画もまた三年後なのでしょうか。映画の後に次回作予告はなかったので、まだプロットも練ってない感じかな。もしあるのであれば、楽しみですね。
まぁ長くなってしまったんでそろそろ終わりにしないと、ただでさえ駄文なのに、長すぎて読むの苦痛になっちゃいますね。自分でも読み返しててそう思います。(猛省)
もし読んでくれた方がいらっしゃいましたら、長々と駄文にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。マジでお詫び渡したいくらい長いし読みにくい。
まだこれからも色々と書いていきます。多分ジャンルはまちまちなので、興味があれば読んでいただけると幸いです。
では、また。
天気の子、サイコーw
#天気の子 #Weathering With You #神 #語彙が3歳児